<タイ語> อุดรธานี
<面積> 11,730.3 K㎡(東北部の中で4番目の広さ)
<人口> ウドンタニ県約160万人 ウドンタニ市約40万人
※2020年時点
<気候> 暑気(2月中旬~5月)、雨季(5月中旬~10月)、乾季(10月~2月)
※詳細はタイの気候へ
<タイ東北部>
タイ東北部はタイ語で“イサーン”と呼ばれ、「田舎」や「貧困」等の負のイメージを背負う反面、「古き良き時代のタイ」「伝統的郷土文化の最後の砦」といったような言葉で語られることも多く、タイ国民の郷愁を誘う大変貴重な地域でもあります。
タイは、1都76県に分かれており、そのうちイサーンは20県、人口はタイの1/3を占めております。8割の人はラオ系でラオス語と近似したしたイサーン語を話します。ラオス文化圏に属し、バンコクがあるタイ中央部とは大分異なる文化的特徴を持っています。
広大かつ多くの人口を占めている地域ではありますが、タイの最貧困地域である背景には、文化の違いにより国の近代化から教育面などで取り残されたことに加え、土壌の塩分濃度が高く雨が少ない土地であるため、農業生産性が低い等の事情があります。
そのため、イサーンの人々はバンコクやチョンブリ県、ラヨーン県等大都市へ出稼ぎに行かなければならない状況にあります。
食は「もち米」を主食としており、タイの中でも特に辛いことで有名で、代表料理ラープ、ソムタム、ガイヤーンはタイ全土でとても親しまれている料理です。タイ国中部を中心とした典型的ないわゆる「タイ料理」よりも、イサーン料理は日本人の口に合うのではないでしょうか。
<ウドンタニという名前>
ウドンタニとは、北の町という意味で、日本では「ウドンターニ」「ウドンタニー」「ウドンターニー」とも表記されます。タイでは「ウドン」「ウドーン」とも呼ばれています。
<ウドンタニの歴史>
市街地の東、約50㎞のバーンチアンで、青銅器時代の遺跡(ユネスコ世界遺産)が発掘されました。それらは紀元前2595年から紀元183年頃のものであろうと推定され、その頃に農耕が行われていたことが推測されます。この農業経済の発展は60年代のヴェトナム戦争時、アメリカが軍事基地を置く絶好の条件となり、当時は近隣に7つのアメリカ軍基地があったが、1976年にタイに返還されました。(そのうち、いくつかは既に存在していません。)
ウドンタニは、現在ではイサーン最北部の中核都市となっています。
<産業>
農業が主で、重要な生産物は、米、トウモロコシ、サトウキビ、キャッサバ、ゴムです。重要な産業は、砂糖生産、繊維です。
<イサーン人の性格>
タイ東北部の人間は概して従順で温厚な気質を持ち、熱帯の激烈な気候の中で黙々と働く忍耐強さを持ち合わせています。また年長者を敬う文化が隅々まで浸透しており、もちろんのこと親孝行でもあります。比較的おっとりして保守的な性格傾向を持つ故少々物足りない印象を持たれる場合もあろうかと思いますが、安定性と問題発生リスクの少なさが魅力となっています。